歓迎会

Par Origenius

22 décembre 2011

待ち望んでいた主が来てくださいました。来てくださった主を迎え入れましょうか。

主の降誕、おめでとうございます。

ずっと前から待ち望んでいた主が来てくださいました。心から神様に感謝いたします。
毎年、冬が来ると同時に、クリスマスのお祝いをします。毎年、クリスマスのイルミネーションと飾りで、夜の寂しさを照らし、闇の寒さを温めて祝います。クリスマス会を催し(忘年会や新年会を含めて)冬の寂しさを乗り越えて、祝いながら新しい年を迎えることになります。毎年繰り返し同じようにします。そしてまた、家庭の中、友人の間でも、プレゼント交換などをしながら、人間関係を保つことになります。

一昨年も、去年も、今年も、来年も、再来年も…それは終わることがありません。全く変わることがないのです。

全てが何も変わらないことで、クリスマスを祝う元々の理由を忘れてしまう恐れがあります。祝う理由が消えてしまい、徴だけ(イルミネーションなど)が残り、まるでそれがクリスマスであるかのように。すなわち、キリストが来てくださった祝いなのに、それを忘れ、キリストが来たことをしるした飾りだけで喜ぶのです。これは間違いではないでしょうか。

なぜ、このような状況になったのでしょうか。せっかく、キリストが来てくださったのに。

キリストが来てくださっても、キリストを迎え入れる人がいなければ、来ていないのと全く同じです。キリストが来てくださることには、目的も計画もあります。私たちがこれらに気付き、認めることができたら幸いです。

イエス様は、公の生活の中で、御父について話し、神様の御顔を私たちに示して下さいました。その目的は、私たちが神様の御顔を見ることです。ですから、クリスマスの時、キリストを通して神様の御顔を見ることは、キリストを迎え入れることなのです。

イエス様は、出会った人々に対して憐れみを持ち、言葉を使って赦しを授けたり、癒しを与えたりしました。私たちがキリストに倣い、いただいた神様の愛を隣人に渡し、愛と赦しの言葉を互いに交わすならば、それはキリストを迎え入れることです。

イエス様は、私たち人間のためにご自分の命を犠牲として捧げ、私たちを死から解放してくださいました。同じように、私たちが自分のことを棄て、すべてを神様からいただきながら隣人を大切にするならば、それはキリストを迎え入れることです。

簡単に言えば、福音に従うというのは、キリストを迎え入れることです。これこそクリスマスです。

計画とは?まず、キリストを幼子として迎え入れることです。そうすると、心の中でキリストは成長します。一歩一歩少しずつ、生涯私たちもキリストと一緒に成長しながら信仰の道を歩みます。

毎日キリストを迎えることができるので、毎日が新しい日になります。毎日がクリスマスです。

クリスマス、おめでとうございます!

Où suis-je ? Et cum Spiritu tuoAinsi va la vie ! 歓迎会

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