やっとやって来た!

Par Origenius

28 octobre 2010

私たちが御国まで行くわけではなく、教会の宝物である秘跡を通して御国が私たちそれぞれの生活に訪れて入り込むのです。

外人とは、どこの国に属している人でしょうか?

同じ文化、同じ歴史、同じ言葉、同じ領土を共有する人々は、同じ国に属しているでしょう。別の文化、別の歴史、別の言葉を持っている人は、この同じ領土に住んでいても、その国に属していないわけです。このように定義すれば、この人は外人と言う事になります。

キリストに導かれて、信仰の道を歩む人々はどこまで行くのでしょうか?簡単に言えば、神様の御国まで行く事になります。それは普通の考え方です。でも実は、信仰を持っている人々が、神様の御国まで行くわけではないのです。逆です。神様の御国は信仰を持っている私たちの所に訪れて入り込みました。それは、クリスマスの神秘で悟る事になります。ようするに、「神様の子であるイエス様は、私たちの内に宿られた」と。〔ヨハネ1、14〕そして、イエス様は公の生活で、神様の業を行う事を通して神様の愛を示してくださいました。イエス様の生きている水を注がれたサマリアの女の人は、清められました。イエス様の赦しの言葉を伝えられた中風の人は、心だけではなくて、体も赦されました。最後に、神様の救いの計画を成し遂げるように、ご自分を生贄として十字架上で捧げ尽くした事を通して人類、すなわちそれぞれの人を、永遠の死から解放してくださいました。それは受難と復活の神秘です。今も、私たちは一人一人神様に愛されている者ですから、生きている水が注がれる事で、清められます。それは、洗礼です。罪人でありながら、神様に愛されている私達は、イエス様の赦しの言葉を伝えられて、心が赦されて体も新しくなるのです。それは、赦しの秘跡と病者の秘跡です。罪人だからこそ、神様に愛されている私たちは、御ミサに参加する度に、キリストの受難と復活の神秘にあずかってたたえます。御聖体を受ける度に、復活されたキリストが私たち一人一人と会いに来てくださいます。

そうですね、私たちが御国まで行くわけではなく、教会の宝物である秘跡を通して御国が私たちそれぞれの生活に訪れて入り込むのです。

私たちはもう既にこの神秘にあずかったのですから、実は、もう既に神様の御国に属しています。神様の御国は私たちの所属する国です。

どんな国籍を持っていても、どんな言葉をしゃべっても、神様の愛も、神様の赦しも、神様の永遠の命も共有している私たちは、もう既に神様の御国に属しています。つまり、もう誰も外人ではありません。

「従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族です。」〔エフェソ2、19〕

もうすぐ、王であるキリストの祭日にあたって、カトリック湯川教会のお祝いになります。キリストは、神様の愛が満ちあふれるこの御国を納めてくださいます。その日、神様に感謝するため、私たちは喜びの内に、御国に属している事を証しするように、愛し合いましょうか?赦し会いましょうか?

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