クリスマス、おめでとう

Par Origenius

24 décembre 2007

皆さん、主の降誕、おめでとうございます。

光は暗闇の中で輝いている。その光はまことの光で、世に来て、すべての人を照らすのである。

私たちは毎年、クリスマスのお祝いをします。毎年、生まれたばかりの赤ちゃんであるイエスを、私たちを救って下さる神として認めるように招かれています。救い主であるイエスを迎えることを通して、私たちは新しくなります。毎年、このお祝いを通して、イエスをメシアとして認めて受け入れることで、イエスは私たちにとってキリストとなります。ですから、このとき生まれたメシアである赤ちゃんは、イエス・キリストと呼ばれているのです。

主の降誕のごミサの福音を読むとき、特に二つ、重要なテーマだと思うものがあります。

一つめは、光です。キリストは、世を照らすために来て下さった光です。神様の輝く顔を示して下さるのがキリストです。基本的に、暗闇のうちに生きている人間は、生涯迷います。生きる目的を探し求めても、なかなか見つけられません。生きることに目的があること自体、あまり知らないのです。やはり、暗闇は暗闇なのです。キリストは、神様の光をもたらして下さるので、私たちはもう暗闇のうちに生きているのではありません。生涯、光に照らされて、どこまでどこに進んで行くのかがよくわかるようになりました。「光は暗闇の中で輝いている。[…]その光はまことの光で,世に来て、すべての人を照らすのである。」(ヨハネ1、5…9)光であるキリストは、私たち人間に、人生の目標を与えて下さいました。それは、神様と一緒に永遠に生きることです。知っていましたか?

二つめは、言(ことば)です。神様は、「言」を使って万物を創造しました。「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」(ヨハネ1、3)普通、言(ことば)を使って何か相談をしたり、気持ちを分かち合ったりします。言によって人間関係を維持し、仲良くなります。神様も、言を使った創造を通して、私たちとの愛の関係を作って下さいました。ですから私たち人間は、言であるキリストを聞き、それを受け入れるとき、神様の愛に養われるでしょう。

キリストが、私たち人間の光として来て下さったのですから、私たちはもう迷うことがありませんし、人生を歩みながら向かって行くところは、神様の御国だと悟りました。その歩みは、私たち自身の力によるものではありません。キリストである言に導かれて、少しずつ神様の御国へ向かう道を歩むことになります。

私たちが、祈りながら神様に向かい、キリストの光に照らされるためにキリストを受け入れる時。その時がクリスマスです。同じように、私たちが、キリストである神様のみ言を聞き入れて、神様の愛に養われる時。その時がクリスマスです。

ですから、クリスマスの神秘にあずかるのは、一年に一度だけではないのです。信仰生活の、毎日のことです。毎日のことを毎年一度、特にお祝いをするのは、このクリスマスの深い意味を思い出すためです。
喜びましょう。キリストは、私たちのうちに来て下さったのです!

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