共同体とは?

Par Origenius

18 août 2007

共同体に属すということは、何を意味するのでしょうか。

皆一人一人が共に、同じ体に属しています。そして、皆が共に、復活されたキリストの体となりました。キリストの体において、神様の家族となったのです。

「カトリック湯川教会の〜と申します。」とか「彼女は教会の方です。」という表現がよく使われています。私たちは一人一人カトリック教会に属していますが、同時に、湯川教会にも属しています。

それは確かにそうですが、実際これはどういう意味でしょうか。教会は、協会ですか。違いますね。クラブですか。とんでもないです。神様に教えをいただく人々の集まりですか。教会と言う単語を見れば、そうではないかと思います。しかし、それだけであれば、教会に属すということの本当の意味が、まだはっきり分からないでしょう。

人間の生活の中に似ているものを探すとすれば、何があるでしょうか。家族ですか。そうかも知れません。神様に教えをいただく人々は、皆、神様の家族に属して神様の子となりました。そして、私たちは兄弟姉妹となりました。ですから教会は、協会とかクラブとは言えないのです。たとえば、書道クラブに入るのは、一年間だけの限られた期間でも問題ありません。この書道クラブに属している人々は、もちろん兄弟ではありません。仲間です。写真クラブには、いつ入ってもいいし、いつ離れても構わないのです。そこにおける仲間は、家族ではないのですから。

教会の場合は違います。共に、神様から教えをいただくことだけではありません。洗礼を受けることを通して、神様から、復活されたキリストの永遠の命を共に受けるのです。洗礼を受けた人々の間には、強い愛の絆があります。その愛の絆で、私たちは兄弟姉妹となってしまいます。神様の家族となってしまいます。

私は四人兄弟です。兄は、結婚して自分の家族を造りました。ヨーロッパの国々をまわり仕事をしています。芸術家の弟は、自分の家族を持ちバリ島にいます。妹は、フランスで四人の子供を育てています。そして私は、宣教師として湯川教会に仕えようとしています。

私たち兄弟四人は、世界のあちこちに離れていても、まだ兄弟なのです。離れていても、私たちの間には強い愛の絆があります。兄弟姉妹となったのは、私たちが選んだことではありませんし、父母の愛によって出来たことです。命も、愛も、プレゼントとして別の方からいただいたものですから、変えることは出来ません。

私たちは、神様の家族の子となりました。皆同じく、神様の愛によって出来たものです。皆違う人々ですが、神様の愛によって、私たちの間には強い絆があります。ですから、私たちは神様の愛のうちに、皆兄弟姉妹なのです。命も、平和も、赦しも、全て神様からいただいたものですから、神様の家族に属しているのです。

この家族とは、協会ですか。クラブですか。それとも教会ですか。いいえ。共同体です。私たちは、共同体となったのです。つまり、皆一人一人が共に、同じ体に属しています。そして皆、復活されたキリストの体となりました。キリストの体において、神様の家族となってしまったのです。これは、とても素晴らしいことではないでしょうか。

私は特に、カトリック湯川教会における神様の家族のために祈ります。その兄弟姉妹が皆、神様の呼びかけに答えて、いただいた使命を果たすように。皆が神様に恵まれて、自分のタラントンを使って、神様に、そして兄弟姉妹が互いのために仕えるように。今は教会から離れている人々が、いつかキリストの体に属す神の子として認められるように。そして今いる兄弟姉妹が、離れてしまった人々を、喜びのうちに、愛のうちに迎え入れるように。そして、皆が神様からいただいた勇気で、お互いのために赦すことが出来るように。

このように、私たちは信仰を持ち、神様の国へ行く道を、共同体として歩む事になります。

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