慈しみ深い聖マリア

主任司祭となって…

Par Origenius

18 décembre 2005

人々はキリストに愛されているので、キリストの恵みを迎え入れるなら幸いです。

休暇を取って一時帰国した後、地主司教様によって湯川教会に派遣されました。湯川教会に着いたのは、9月15日でした。それまでの私は、司祭として、東京にあるフランス語圏の共同体のために働いていましたから、全く違う世界に入ることに少し緊張しました。知り合いもなく、日本語もまだ不十分でしたから、この先どうなるのかと自分自身の心に問いかけました。そして、神様の望みに従うべきだと考えたのです。司祭として、神様の福音を述べ伝えるために日本へ来たのですから、湯川教会でやっていこうという気持ちでした。自分の力が不十分だということはよく知っています。でも、神様も私の状態をご存知ですから、私は自分の弱さを神様に委ねて、「お任せします」「宜しくお願いします」と、神様に申し上げました。そして、喜びのうちに湯川教会に着いたのです。

湯川教会の主任司祭として、湯の川の共同体の一致という目的を持っています。それは、救い主であるキリストの愛の恵みによって、湯の川の共同体を生かすということです。もちろん、それだけではありませんが。私は時々、信者さんたちの悩みを聞いています。「将来、うちの共同体の信者さんたちがとても少なくなったり、司祭たちが少なくなったら、どうなるのでしょうか。」というようなことです。人間の目で将来を見たら、それは確かに心配なことでしょう。ところが、瞑想してキリストの顔を見ると、そのような心配は必要ないとわかります。キリストは宇宙の王ですから、特別な愛でそれぞれの人を大切にしてくださいます。ですから、共同体の将来を考えて絶望することはありません。街に行くと、買い物をしたり、運動をしたり、電車に乗る人々を見ます。若者もいるし、年を取っている人々もいるし、男性も女性もいます。簡単に言えば、皆、普通の人々です。時々、一言でも挨拶をしたいと思うのですが、日本語がまだ不十分ですから、なかなか思い切って言えません。この、どこにでもいる普通の人々。この人々は、キリストに愛されています。ですから、彼らがキリストの恵みを迎え入れるなら幸いだと考えています。でも、誰が彼らに神様の愛を証しして、愛の福音を述べ伝えてあげるのでしょうか。

私たちは、神様の愛を受けて、キリストを通して唯一の神様を認め、神様の幸せを経験しました。私たちは皆、それを証しするべきではないでしょうか。

キリストの弟子として私たちは、皆と一緒に勇気を持ってキリストの愛を証しする責任を持っています。証しすることにつとめるなら、私たちの共同体の将来について心配する必要はありません。私たちの共同体は、キリストの恵みによって、さらに新しくなるのです。それは、私たちの希望です。

頑張りましょう!

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