救い主じゃないでしょうか

Par Origenius

24 septembre 2019

イエス様が救い主であるということを、私たちはどのように認めるでしょうか。

イエス様を救い主として認めるとは、どのようなことでしょうか。それは、イエス様を、神様の愛によって人間を正しく裁き、神様の赦しを人間にもたらす方だと信じることでしょうか。

もちろんそれは正しいことですが、これだけであれば、まだ深く理解しているとは言えないかも知れません。

先ず、ペトロと一緒に歩んでみましょう。 まだペトロと呼ばれていなかったシモンは、初めてイエス様と出会った時に、イエス様が奇跡を行なわれるのを目の当たりにし、そのことを通して神様の栄光を見ました。そして、この光に照らされ、自分の陰を見ました。つまりシモンは、イエス様の聖性を見ることによって自分の罪を認めたのです。自分の罪を認めることは、イエス様を救い主と認めることへの最初のステップです。「私から離れて下さい!私は罪深い人なのです。」この時点でシモンは、イエス様が救い主だとはまだ知りません。知っていたなら、イエス様に向かって離れて下さいとは言わず「救って下さい!赦して下さい !」と叫んだでしょう。

シモンに対するイエス様の答えは面白いものでした。「そうだ、お前は罪深い人だから、私から離れてくれ!お前が私の側にいるのはふさわしくない!」と答えたのでしょうか。いいえ、そうではなく「私に従いなさい!」 と、シモンを招いたのです。この時からペトロの信仰生活が始まりました。ペトロはイエス様に従いながら、イエス様の友だちとなり、信頼の絆で結ばれました。彼らは三年間、エルサレムに登るため、生活の道を共に歩みました。

ペトロは罪深い人間でありながらも、イエス様の業や言葉を見聞きすることを通して、神様のみ心を悟りました。彼の信仰を見たイエス様は、シモンにペトロと名付け、使命を果すように求めました。「シモン 、あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てます。」これ以上ないほどの重要な使命を与えられたペトロですが、彼はエルサレムでイエス様を三回裏切りました。

復活した後、ペトロと会ったイエス様は「ペトロよ、この人たち以上に私を愛していますか。」と三回尋ねました。ペトロは涙を流しながら「はい、主よ、知っている通り、私はあなたを愛しています。」と三回答えました。イエス様との愛の関係を作り直され、愛の絆で新たにされたペトロは、イエス様の復活の力で赦され、救われました。ペトロがイエス様を救い主として認めることとなったのは、この経験からです。

ペトロの歩みにならい、イエス様の栄光に照らされて自分の罪を見ること、イエス様と結ばれる生活をすること、その上で、復活の恵みである救いの経験をし、イエス様を「救い主だ」と認めることは、私たちの希望であり幸いです!

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