「神様のみ顔について」

Par Origenius

5 octobre 2016

「神様とは私達にとってどういう方ですか?」と幼稚園の先生方(ほとんど未信者)に質問しました。その答えは「助けて下さる神」「なぐさめて下さる神」「見守って下さる神」と答えて下さいました。

長く信者をしている人の中には「裁く神」「罰する神」「なんとなく怖い神」などと答えますが神様はこのような方ではないので、「いつくしみ深い神」「あわれみ深い神」です。

神様はキリストを送って神様のみ顔を見せるために罪人と食事をして、「みこころ」を示してくださいました。福音書のルカ15章に次のように書いています。

  • 1つ:ルカ15-1-7「見失った羊」のたとえであなたがたの中で100匹の羊を持っていて、一匹を見失ったら99匹を野原において1匹を見つけ出すまで、さがし回らないだろうか。見つけたら皆と一緒に喜ぶと。
  • 2つ:ルカ15-8-10「無くした銀貨」のたとえ。ドラクメ銀貨10枚の内1枚を無くした女がいて、お金は価値があるので、整理整頓(心の掃除)して見つけたら友達を呼んで一緒に喜びます。きびしい顔でない神、裁く顔でない神、喜ぶ顔の神。
  • 3つ:ルカ15・11-32「放蕩息子」のたとえで放蕩息子は弟で、兄はファリサイ派(私達)私達は弟を見てどうして喜ばないか、どうしてねたむのでしょうか、不平を言うでしょうか、父は兄に私の物はあなたの物と云いました。父は屋根に昇って弟を探し、迎えに行きました。神様は見失った人を救うために外に出て探しに行かれる。

神様のみ顔は裁く神でなく、罰する神ではなく、いつくしみ深い神、あわれみ深い神は私達が改心出来るように招いておられます。外に出て「いつくしみ深い神様」「あわれみ深い神様」を告げ知らせましょう。

Où suis-je ? Et cum Spiritu tuoAinsi va la vie ! 「神様のみ顔について」

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